※※ 本家様 →→ https://www.youtube.com/watch?v=2RGXztVUIYQ ※※
初投稿です。
ちきうとです。ボカロは趣味の中でもトップ3に入るくらいは好きです。
そんなミーハーな私は妄想が好きなので、歌詞を読んだ後の妄想、略して「歌詞妄想」した記事を書いてみようと思います。
少しでも皆さんの想像力を刺激する機会になれば幸いです。
記念すべき一曲目は「愛 think so,」
タイトルを見た瞬間にビビッときちゃいました。「I(私)」と「愛」がかかっているんだと。
、、、私はMVを観る前に↓↓のような妄想をしたので、ちょっと見当はずれのように聞こえるかもしれません。しかしながら、つじつまは合っているかと。
【要約】
- 状況は夜。「僕」が「僕の中の僕を愛する心」に話しかけている
- 「僕」は昼間さんざんな目に合っていて、夜になると「僕の中の僕を愛する心」に慰めてもらう
- 「僕の中の僕を愛する心」が「僕」を励ます
⇨趣意は「自分だけが自分を愛せる」ことだと思います。
それでは、歌詞を追っていきます。
※※ 以下、「僕の中の僕を愛する心」を「僕の愛」と表記します。
淋しげな「僕」は夜に
寂しい夜と淋しい僕で 気が付けば世界は二人きり
せっかくだから仲良くしようか どっちが多く泣けるか勝負しようか
ねえ、思うんだ 君なんていなくても 僕は生きて逝けるかもしれない
ねえ 思うんだ 僕なんていなくても 君は生きて生きて生きて 愛 think so,
https://www.youtube.com/watch?v=2RGXztVUIYQ
状況は夜。「僕」ともう一人、合計二人います。この「もう一人」が「僕の愛」です。
真っ暗で何も見えない夜世界。同時に、普段見えないものが見える夜世界、こういったことはよく聞く話です。ここでは、「僕」が「僕の愛」を認識します。
「せっかくだから」ってことはそんなに乗り気じゃないみたいですね。確かに、自分の中の愛を自覚するのってちょっと恥ずかしいというか、素直になりにくいというか。俗っぽく言えばナルシストみたいじゃないですか?
「どっちが多く泣けるか」、これは昼間に「僕」におきたことで、「僕の愛」はどれだけ泣いてくれるか聞いています。そんなに期待していない感じですね。「勝負しようか」というのもちょっと強気で、虚勢を張っている、そんな感じがします。
僕のほうが悲しいですよ、君には分からないだろうけどね、と。
「君(僕の愛)なんていなくても僕は生きて逝けるかもしれない」、これは自分を愛する心がなくても生きて最期を迎えることができるという意味。確かに、自暴自棄のまま天命を全うする人はいなくもない、、、かな、、、?
「僕なんていなくても 君は生きて生きて生きて 」、「僕」と「僕の愛」は切り離すことができると思っているのでしょうか。
ここまでで、「僕の愛」に対してまだ素直になれていない「僕」が描かれていると妄想できました。
朝が来る、もう少し待って欲しい
あと3時間の付き合い 最後までよろしくね
ダメな僕を 朝日とやらが映し出す時まで
ねえ 怖いんだ 君が消えてしまうのが 僕が生きていけるわけないじゃないか
ねえ 怖いけど 僕なんかを側に 君は置いて撫でて愛でてくれるから
https://www.youtube.com/watch?v=2RGXztVUIYQ
長い夜が終わりそうです。そのせいか、ここから「僕」が「僕の愛」に本音を漏らし始めます。
あと3時間の付き合い 最後までよろしくね、夜明けまであと3時間。世界が曖昧さを解消します。
怖いんだ 君が消えてしまうのが 僕が生きていけるわけないじゃないか、「僕」は先ほどとは真反対のことを言っています。本当は「僕の愛」が自分を支えてくれていると知っていたのでしょう。
離したいけど、話したい
腫れた目の下の頬の 汚れた川を 君の指が流れ出す
ねえ 思うんだ 君が生きてるから 僕も生きて笑っているんだろうな
ねえ 思うんだ 僕なんていなくても 生きていける君ならいらない 愛 think so,
寂しい夜と淋しい僕で 気が付けば世界は二人きり
https://www.youtube.com/watch?v=2RGXztVUIYQ
腫れた目の下の頬の 汚れた川を 君の指が流れ出す、「僕」が泣いて流した涙は汚れた川をつくり、「僕の愛」はその川に指を流す、つまり、涙を拭いてくれています。「僕」の涙を「僕の愛」が拭く、結局自分を慰めるのは自分なのでしょうか。
僕なんていなくても 生きていける君ならいらない、ここはちょっと複雑です。仮に「僕の愛」が本当に「僕」を愛しているなら「僕の愛」は当然生きていけません。「僕」と「僕の愛」は切っても切り離せない関係です。↑で「僕」はそう言っています。
つまり、「僕」がいなくても生きていける「僕の愛」があるとすれば、それは偽の愛ということです。
「僕」は偽の愛なんていらないと、そう言っているのです。具体的には強がり、妥協、言い訳、ごまかし、といったところでしょうか。
これらは自分を守っているようで、実はそうではないことがお分かりいただけますでしょうか。本当の「自分の愛」はいつだって自分を正直に守ってくれる、あるいは、一緒に傷ついてくれるものではないでしょうか。
寂しい夜と淋しい僕で 気が付けば世界は二人きり、最初と全く同じフレーズです。また別の日、「僕」は「僕の愛」に話しかけているのでしょう。素直になれないまま。
見ていただきありがとうございました
いかがでしたでしょうか。これからも月一本程度、歌詞妄想をしてみようかと思います。
想像力と表現力が同時に磨かれるので自己研鑽のためにもなりましょう。
今後とも「新潟VOCALOID愛好会」をよろしくお願いします。
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